アンチセカイ系としてのAngelBeats!

今日はそこそこ真面目に仕事して、銀座でウィスキーをパカパカ飲んで、渋谷で吐いて、地元に帰ってコンビニでソルマックヤングガンガン(先月からWORKING!のためだけに毎号買う決心をした)を買って、家に着いてシャワー浴びてベッドでぐでーっとして気がついたらAngelBeats!の始まる時間だった。あやうくPS3のHDD容量不足で録画失敗するところだった。起きてて良かった。さてついにAB!もラス前だ。
 
ベッドでぐでーっとしながら12話を観た。面白かった。盛り上がった。OPカットした時間でガルデモが成仏し、そして感傷に浸る間もなく(AngelBeats!全編に渡り感傷に浸る間などあっただろうか)まさにクライマックスという感じで敵また敵。駆けつける松下五段。唐突にMOON.を髣髴とさせる架空の幸せな日常、とそこからの脱出。まさに等身大・人型決戦兵器と化した奏無双。の割に音無達も加わって、ここは俺たちに任せろー! でゆりっぺ最終ステージへ。
 
そこで待っていたのはアンチ・クライマックス(それなりに盛り上がる演出だったが)。騒動は、過去の、名を語る意味もない誰かが遺したプログラムによるものだった。じゃあ今までの12話続けてきた物語は、何を積み上げたのだろう? 世界の核心は、神の存在は・・・ああ、そんなものどうでもいいんだな。
 
僕の納得はこうだ。結局のところ、周到な伏線、計算された構成により、物語の最後で世界の真実に直面し何事かを成すというのは現実には起こり得ないのだ。AB!は肩透かしの連続だった。直井の台頭により俄かに緊張感の高まった中盤。しかし終わってみれば犬コロのようなギャグキャラが一人増えただけという結果。戦線と天使が和解した直後に起こる天使の異状。しかし「壮絶な戦いだったわ」の一言であっさり片付けるアンチ・カタルシス。そして結局、最後は・・・まあなんだかんだグダグダしてたけど、そのグダグダこそが救いになったんだという結論。きっと彼らがいなくなっても、第二第三の戦線が起こりうるのだろう。そしてまたグダグダして、いつか卒業するのだろう。セカイは誰の存在にも依存せずただあり続ける。アンチ・セカイ系
 
麻枝准がAngelBeats!に込めたメッセージを妄想すると、つまり、中二病的クライマックスが起こらなくたって生きる喜びって言うのは得られるんだってことなんじゃないだろうか。それって「日常系」の作品にもひっそりと内包されてるメッセージかもしれないけど、でも麻枝准はガチでやったというか、大上段にそれを掲げてみせたのが、ああ、この人はやっぱり絶対に「職人的」「技巧派」クリエイターにはなりえない唯一無二の存在なんだなあと俺に思わせる所以だ。そりゃ気に食わない人もいっぱいいるだろうけど、まあこんな作品があってもあなたに危害を加えるわけではないのではないかな。
 
調布通、ではなく超フツーのエンターテイメント作品として仕上げるなら「影」の存在は序盤から匂わせるべきだし、野球とかその辺を外して12話の展開を引き伸ばして後半ずっとこの話をやってれば良かったはずで(12話だけで大体3話分くらいの内容が詰め込まれてる気がする)、それをやらなかったのは、それを思いつかなかったからではないだろう。
 
最終話が終わったら、一度、1話から最終話まで全部一気に観返したい。そいつは、最高に気持ちがいいはずだ。