電波大戦の感想

電車男」を意識したのか文章が横書きになり、更に対談なのに台詞に顔文字を多用するという掟破りの構成になっていてちょっとびびった。
しろはたの文章のノリをそのまんま本にしたのだろう。一人称が「俺」じゃなくて「オリ」だし。
 
電波祭、電波姉妹祭などで竹熊先生、滝本きゅん、倉田先生の三人は実際に見たことがあるので文章を読んでいると脳内で声が再生される。
特に滝本きゅんは、読んでいるとあの淡々とした喋りが脳裏をよぎり、緊張感が増す。
 
この本のハイライトは滝本きゅんと倉田先生の項だろう。
滝本きゅんは現実彼女と付き合っているせいでどんどん精神的に追い詰められて小説が書けず、倉田先生は可処分所得をDVDに注ぎ込むライフスタイルによって護身完成しアニメの脚本をバリバリ書いている。
これを読むと、本当に、オタク系の創作家は恋愛をいかに遠ざけるかが生命線なのかもしれない、と思ってしまう。
僕の経験を鑑みても、割と信憑性を感じる。
とはいえ、そういった「ある種のオタク系クリエイター」にとっても、必ずしも現実彼女の存在が創作活動の妨げになるとは限らないのではないか? という疑問もある。
本の中に出てくる現実彼女の例が、「電波入ってる奴」と「凄い強欲な奴」の二種類しかいないので、「そこそこ性格のいい人」だってそれなりに世間に存在するんじゃないか? と思う。実際僕の周りにだって、そこそこ性格のいい女性は複数存在する。「そこそこ」というのは自分で書いててよくわからない基準だが、要はマンガやアニメのヒロインほど非現実的な善良さは持っていないものの、こちらが誠意をもって臨めば、誠意をもって応えてくれるくらい善良な人ということだ。別に付き合っても高額な貢物を要求するわけでもないし、精神的な過度の不安定さをもっているわけでもない。そういう女性と付き合えば、この本で語られているような危機的状況は訪れないのではないだろうか?
……いや、現実彼女の存在が邪魔になるくらいでないとオタク系クリエイターとしての素質に恵まれているとは言えないのだ! ということなのかもしれない。
僕のような凡人には、達人の戦いは難しすぎるッ!(バキの解説風に)
 
徹夜明けに書いているのでわけがわかりませんな。